2008/07/03

ご報告

肝臓癌を患っていた父が、6月30日の朝に他界しました。
とても安らかな最期でした。

若い頃に結核の手術を受け、その時の輸血によりC型肝炎に感染しました。
それが判明したのが2年ほど前。
しかし父は手術をせず自宅で過ごすことを決めました。
C型肝炎から肝臓癌に転化したのが1年前でした。

癌患者とは思えぬほど元気にしていましたが
4月頃から徐々に弱り始め、5月にベッド生活が始まり
その後在宅ホスピスの助けを受けて痛みを取り除く処置をしてきました。
6月中旬ぐらいまではお客さまを呼んでお話できるほどだったのに
みるみる体調が悪くなり、ついに昏睡状態に陥りました。

腎不全も併発しており、尿が排出されなくなって
最後は尿毒症(脳に毒が回る病気)になり
意識不明の末に亡くなることを聞かされていたので
父も、私たちも、覚悟はできていました。

6月30日の朝、一晩中寝ずに看ていた弟が
呼吸の様子が変わったとのことで呼びに来て
母と3人で見守っていたら
呼吸の間隔が長く、浅くなり、徐々に鎮まって、命が燃え尽きました。
家族が集まってる時に亡くなるっていうの、本当なんですね。

8時20分。私がちょうど最後の父と長く過ごした時間でした。
父のスープや自分のお弁当を作りながら背中で聞いていたのは
朝ドラのテーマソング。
清々しく美しい曲で、耳に残っていました。
「きっと、父が死んだらこの曲が思い出の曲になるんだろうな」
なんてぼんやりと思いながら、会社に行っても頭の中で流れていました。
ドラマの父役が病気で入院するというあたりから
「暗いから面白くない」と言って見なくなってしまったけれど
きっと、自分の姿と重ねてつらくなっていたのでしょう。

妻と子供たちに看取られて、幸せな最期だったと思います。

母が父と結核療養所で初めて会った時に着ていた着物を着せて
文豪っぽい姿になりました。
それをとってあった母がいじらしいと思いました。

2日、出棺の直前に父の文学仲間たちが弔問に訪れました。
こんなおじいさんの友人はどんなおじいさんなんだろう?と思ったら
若くて聡明な青年たちだったので驚きました。
父の考え方には若さがあるので、年齢を感じさせないのだとか。
誰も訪ねて来ない寂しい老後だとばかり思ってたのに
こんなにリスペクトしてくれる若者たちと友達だったなんて!
しかもそのうちの1人は今日が初対面。
初対面が遺体って、かなりのインパクトです。
最後に、大好きな人たちに来てもらえて父もうれしかったと思います。

その後、荼毘に伏してきました。
セレモニー的なものでは全く泣けない私ですが
帰りの車で、ひざの上に乗せたお骨の熱さが伝わって来て、悲しくなりました。
生きている時には父の体の温もりなんて感じたことないのに…。

4日からは青森の菩提寺に葬儀と納骨に行きます。
菩提寺さんから、近くに温泉があるという話を聞き
いいじゃん?って話になってすぐ予約。
翌日はやはりガン宣告を受けている母の姉、伯母さんに会いにいく予定。
伯母のいる所も温泉地なので、昔から泊まってみたかった!と話したら
いいじゃん?って話になってすぐ予約(笑)。
何しに行くんだか。葬儀に行くついでに温泉三昧!

そんなわけで、悲しいけど、暗くはない我が家です。
きっと父も望んでいると思います。

でも、やっぱり、泣けてきます。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

合掌です。

匿名 さんのコメント...

自宅で家族の方々と過ごし、最期を迎える事ができ、お父様は安らかに旅立たれた事でしょう。
ご冥福をお祈りいたします。

Unknown さんのコメント...

覚悟はしていても家族の死は悲しいですね。
家族に看取られて、お父様も満足されていると思います。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

匿名 さんのコメント...

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必ずおとずれる事ですが、哀しい事ですね。
お父様のご冥福をお祈りいたします。

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