2008/07/30

夏の日の朝

父が亡くなってから今日でちょうど一ヵ月が経った。
あの時の重苦しい曇天とは打って変わって、まぶしい青空が広がっている。
雑木林では蝉が鳴き、近所の小学校のプールからは子供たちの歓声があがっている。
空に広がるサルスベリはますます濃い色を残し、その向こうの入道雲とのコントラストが美しい。
季節を感じられるのは幸せだ。

こんなにすがすがしい夏の日に、人を殺してやろうだとか、おとしめてやろうだとか考えている人は不幸だ。
ましてや親に恥をかかそうと事件を起こしたり、見ず知らずの人を殺めるなんて、お前こそが恥だろう!?

何気ない日常の風景こそが、求めても手に入りにくいものだということを人は忘れがちだ。
失ってから気付くなんてあまりにも悲しいから、私は思う存分今日を楽しもうと思う。

2008/07/26

フリル

毎朝の通勤路に咲く可愛らしい花。
小さなフリルとグラデーションが美しい。

2008/07/21

夏デート

5月に辞めていった元同僚から「飲みに行こう!」とメールがきたので、「横浜で花火大会があるけど、どう?」と誘ってみたら、即オッケイ!相変わらずフットワークが軽くてスキだ。

午後に横浜で待ち合わせし、前から行ってみたかった「CAFE de la PRESS」へ。横浜情報文化センターというクラシカルで重厚な建物の中にあって、内装も昔の風情を残しており、天井が高くてとても気持ちがいい。
私はアイスアールグレイ、友人は「裁判官のカフェ」というユニークな名前のメニューを。コーヒーにオレンジリキュールを入れて飲む大人の飲み物で、シックな雰囲気にぴったり。





そのあと8階の「放送ライブラリー」を見学し、古いテレビ番組などを見て楽しんだ。無料でこんなスペースがあるなんてスゴイな。もっと宣伝してもいいのに〜。他に「 日本新聞博物館」(こちらは有料)などもあり、建物の入り口にある巨大な輪転機に反応してしまう私たちって、やっぱり印刷屋さん(笑)。

その後、赤レンガ倉庫へ向かうとものすごい人!トイレ待ちにも行列を作っていて、人混みにぐったりしてしまう。夕方になって小腹が空いたので、sumire.というレストランで軽い食事をとり(ここに入るまでまた30分ぐらい並んだ!)花火の時間になったので外へ。

東京の花火大会は隅田川、東京湾と行ったことがあるけれど、どちらもものすごい混雑で花火どころじゃないが、横浜は混んでいるとはいえまだ東京よりは余裕があり、始まる時間ぎりぎりでも座れるスペースがあった。
赤レンガ倉庫や停泊中の豪華客船の向こうに花火が見えるというシチュエーションもイイし、海の上なので視界を遮るものがなく、空全面に見渡せたのも良かった。
後ろに座ってた人たちのノリが良くて、それにつられて歓声をあげたり拍手したりと盛り上がった。昔に比べると花火も進化しているみたいで、ハート、クラゲ、ネコ、スマイルなどの模様や、何段階かにわたって変化する花火など、どれも工夫が合って全然飽きなかった。

真夏の夜空と、海風と、ドーン!という花火の音に、ここ2〜3月滞っていた心の雲を一気に吹き飛ばしてもらった気がした。

8月1日にも横浜で花火大会があるので、赤レンガパークでの見学、ぜひオススメしときます。

花火の後は、夏だ、ビールだ、宴会だ!ということでジンギスカン…と勝手に結び付けてしまうのは北海道人のサガ? 港付近のジンギスカン屋はどこも混雑していて入れず、結局花火終了の1時間半後、横浜駅の近くでやっと食事にありつけた。汗をだくだくかきながら、炭火で羊を食らう。ビールはサッポロ生の大ジョッキ。し・あ・わ・せ。

友人といろんな話をして、すごく楽しかった。
心に開いた穴は、友達がうめてくれる。
幸せ者だ。

2008/07/19

梅雨明け

東京で梅雨明け宣言が出された今日、八王子の友達から地ビールのお中元が送られてきた。
スカっ晴れの夏空を見ていたら飲まずにはいられない気分になり、冷蔵庫で冷やす間に家の用事を片付けて、お待ちかねの「プハーッ」タイム。

じめじめした湿っぽい季節は
もうおしまい。
今日からは
青空とともに生きて行くのだ。

洋服

毎日遅くまで仕事をしているので
家のことに全く協力できないでいたけれど
明日からやっと三連休。
まだ母はそんな気分じゃないかも?と思いつつ
父の荷物の整理などがあれば手伝おうかと申し出たら
すでにちょこちょこ整理していて
捨てるにはもったいない洋服をどうしたらいいか悩んでいた様子。
着るものに困っている国へ寄付するところがあるよ、
どれどれ、どんな服があったっけ…とタンスを見たら

どの服も、どの服も、見覚えのあるものばかりで
泣けてきた。

まだそんな気分じゃないのは私の方だったよ(笑)。

涙が枯れ果てることはないんだなあと
おかしなことに感心する。

2008/07/16

遺伝

せっかく青森での食事を撮ったので、載せておきます。
下北でいただいたせんべい汁。本来は八戸(青森の下の方、岩手との県境)の郷土料理だけど、魚介たっぷりにアレンジしてあるのが下北風なのかな?

むつ湾といえばやっぱりホタテ。贅沢にも1個まるごと炙り焼きに。他にも、ホタテが入ったホワイトソースをくりぬいたリンゴの中につめて焼いたグラタンなど青森らしい料理も。

朝食には貝焼き味噌。ホタテの貝殻の中に味噌を溶いたおだしにネギと生卵を入れて半熟状にしたもので、ごはんが進む一品。青森では風邪をひいた時に食べたりもする。

温泉では母と一緒にお風呂に入り、背中の流しっこをした。
母の背中は、丸くて小さかった。
お風呂から上がって、母に、私の足の指を見せた。
「ねえ、この足、どこかで見たことない?」
「あ!パパとおんなじ!」

肝臓ガンとともに腎不全も併発していた父は、水分が代謝されず足がパンパンに腫れあがっていた。ベッドに横になる時に手を貸すと、とにかく足が重くて上げるのが大変だった。
父が亡くなった翌日、あんなに腫れていた足がみるみるしぼんで普通の状態に戻った。
良かったね、足、元に戻ったね、なんて言いながら、この足の形にとても見覚えがあるのに驚いた。
私の足とそっくり!
甲が薄く、指が長くてすき間があり、きれいに斜めになっている。
父の足の指なんてちゃんと見たことないし、最後は晴れ上がっていたので気付くことすらできなかったけど、父の遺伝子を確実に受け継いでいることを、父の死後に実感した。

そしてお風呂から上がった母と私の顔を見て、頬のたるみが似てきたなぁ〜、ヤだなぁ〜と思ったのだった(笑)。

2008/07/13

後日談

不謹慎な気がしてたけど、あまりにも面白い話なので記しておきます。

葬祭場で荼毘に伏したあと、弟の車で帰宅する途中でのこと。
右折をしようと車線変更した弟の車の横を
もみじマークの車が無理矢理追い越し
右側からガリガリという音が…。
もみじマークを追跡し、停車させて、車体をこすったことを弟が抗議。
1分もしないうちに話は終わり、示談金を払うから家まで来いとのこと。
おじいさんの家は幸いウチの近所で
駐車場に車を停めて待つことしばし。

この時点で私はもう、可笑しくてたまらなかった。

全員が喪服を着て、私のひざの上には遺骨、母は遺影を胸に掲げ
どこからどう見たって不幸があった以外考えられない。
まるでドリフのコントみたいなこの集団が
おじいさんの示談金を待ってる姿、どうよ!?

「なんかもう、新手の詐欺師みたいだよね」
「何もこのシチュエーションで車をぶつけなくても!」
「俺、こんな愉快な事故、初めて!」
「いっそのこと、この姿で当たり屋でもやっちゃう??」

さっきまで「ひざの上のお骨が温かい」だのと泣いていただけに、可笑しさは倍増。
喪服姿で大爆笑しているナゾの集団。
どうも我が家はシリアスなままでは終わらせてくれないらしい。

弟の言い値の金額をポンと支払ったおじいさん。
家にまとまったお金を普通に置いてるなんてすごくない?
もっとふっかければ良かった(笑)。

そういえば葬祭場に着く前、鍵がかかっていないのに車のドアが開かなかった。
あれはもしや事故を知らせてくれていたのかも??
さらにその後、青森での葬儀のあと
伯父の車から降りるときも、同じようなことが起きた。
父がいたずらしたのかな?
それとも今頃、伯父さんの車がこすられて示談金が舞い込んでいたりして。

2008/07/12

いがいがくん

もじゃもじゃくんから、いつ"いがいがくん"になるのか今年こそ見届けようと思ったのに、やっぱり分からなかった。

2008/07/08

下北ツアー

下北といっても下北沢じゃありません。
下北半島です。

7月4日、父の葬儀と納骨のため青森へ。
「はやて」という、名前の通り速い新幹線ができ、大宮の次は仙台って!すごいなあ。
八戸で快速に乗り換え、本州最北端の大湊駅へ。
そこからさらにタクシーで30分ほどで菩提寺のある町へ到着。
母、私、妹、甥と姪も来てくれたおかげで、湿っぽくない旅となった。
たまたま秋田に出張だった妹の旦那さんも合流。
弟は考える所があるらしく、一人で車を飛ばして来ることになった。
正確には父のお骨と一緒なので、親子二人水入らずの旅になる。

泊まった温泉宿は地元の人たちでにぎわう公衆浴場の雰囲気で、アットホームな感じ。
宿泊客は我が家だけ(笑)。
まわりに何もないので夜が長い。

7月5日、葬儀の日。
弟が無事到着し、一安心。
菩提寺に向かうと、ほどなくして母の姉の家族、私にとっての伯父さんといとこたちが駆け付けてくれた。
親族だけのおごそかな葬儀。
以前このお寺に来たのは、他のお墓に入っていた曾祖母のお骨を移した時。
その時は映画にしたいくらいかなりの珍道中だったのだけれど
お経をあげている際、隣に座っていた父が号泣していたことを思い出す。
父が泣いたところを見たのは後にも先にもあれっきりだったと思う。

浄土真宗では位牌も戒名もなく、過去帳に法名がつけられる。
儀式では泣けない私だけど
仏前に置かれた過去帳に父の名前を見た時には、どうにもこうにも涙が出てしまった。
葬儀のあとは納骨。
荼毘に伏した日もそうだったけど、とても明るい青空。
父は晴れ男だったのかもしれない。
そういえば大湊からのタクシーで、霞がかかるむつ湾の上に
大きな虹が見えたっけ。

手でお骨をつかんでお墓の中へ。
この時まで状況をよく分かっていなかった甥っ子と姪っ子は
やっと「おじいちゃんは骨になってしまった」という事実を把握したらしく
小さな瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。

伯父といとこの車で一路浅虫へ。
子供の頃、毎年のように遊びに来ていたおうち。懐かしいなあ。
出迎えてくれたのは、久しぶりに会う伯母。
いろんな病気をしてきた伯母はかなり痩せて、とても小さく見えた。

それにしても、離れていた時間を感じさせない「血族」ってすごいな。
久しぶりだというのに、そんな気がしない。
親戚付き合いなんてメンドクセー!と思っていたけれど
伯父一家はみんながみんな明るくて
ああ、私、なんかこの人たち好き、と思ったのだった。
母も次の世代の橋渡しをしなくてはと思ったらしく
父の死を期に、こうして引き会わせてくれたことに感謝。
そして、こんな素晴らしい親戚に長らく会っていなかった自分を反省。

旅館の部屋の窓からは、海を望む風光明美な景色が広がっていた。
ああ、なんだかここに毎年来なくちゃいけない!
そんな気持ちになった。

母と一緒にお風呂に入ったこと、
母に私の正直な気持ちをぶつけたこと、
弟といろいろ話したこと…
はからずも父の死によって家族の結束が固まった。
父は喜んでくれているだろうか。


※読者の皆様へ
お悔やみのメッセージ、ありがとうございます。
お一人ずつ返信できませんが、皆様からの温かいお気遣いに心から感謝します。

2008/07/03

ご報告

肝臓癌を患っていた父が、6月30日の朝に他界しました。
とても安らかな最期でした。

若い頃に結核の手術を受け、その時の輸血によりC型肝炎に感染しました。
それが判明したのが2年ほど前。
しかし父は手術をせず自宅で過ごすことを決めました。
C型肝炎から肝臓癌に転化したのが1年前でした。

癌患者とは思えぬほど元気にしていましたが
4月頃から徐々に弱り始め、5月にベッド生活が始まり
その後在宅ホスピスの助けを受けて痛みを取り除く処置をしてきました。
6月中旬ぐらいまではお客さまを呼んでお話できるほどだったのに
みるみる体調が悪くなり、ついに昏睡状態に陥りました。

腎不全も併発しており、尿が排出されなくなって
最後は尿毒症(脳に毒が回る病気)になり
意識不明の末に亡くなることを聞かされていたので
父も、私たちも、覚悟はできていました。

6月30日の朝、一晩中寝ずに看ていた弟が
呼吸の様子が変わったとのことで呼びに来て
母と3人で見守っていたら
呼吸の間隔が長く、浅くなり、徐々に鎮まって、命が燃え尽きました。
家族が集まってる時に亡くなるっていうの、本当なんですね。

8時20分。私がちょうど最後の父と長く過ごした時間でした。
父のスープや自分のお弁当を作りながら背中で聞いていたのは
朝ドラのテーマソング。
清々しく美しい曲で、耳に残っていました。
「きっと、父が死んだらこの曲が思い出の曲になるんだろうな」
なんてぼんやりと思いながら、会社に行っても頭の中で流れていました。
ドラマの父役が病気で入院するというあたりから
「暗いから面白くない」と言って見なくなってしまったけれど
きっと、自分の姿と重ねてつらくなっていたのでしょう。

妻と子供たちに看取られて、幸せな最期だったと思います。

母が父と結核療養所で初めて会った時に着ていた着物を着せて
文豪っぽい姿になりました。
それをとってあった母がいじらしいと思いました。

2日、出棺の直前に父の文学仲間たちが弔問に訪れました。
こんなおじいさんの友人はどんなおじいさんなんだろう?と思ったら
若くて聡明な青年たちだったので驚きました。
父の考え方には若さがあるので、年齢を感じさせないのだとか。
誰も訪ねて来ない寂しい老後だとばかり思ってたのに
こんなにリスペクトしてくれる若者たちと友達だったなんて!
しかもそのうちの1人は今日が初対面。
初対面が遺体って、かなりのインパクトです。
最後に、大好きな人たちに来てもらえて父もうれしかったと思います。

その後、荼毘に伏してきました。
セレモニー的なものでは全く泣けない私ですが
帰りの車で、ひざの上に乗せたお骨の熱さが伝わって来て、悲しくなりました。
生きている時には父の体の温もりなんて感じたことないのに…。

4日からは青森の菩提寺に葬儀と納骨に行きます。
菩提寺さんから、近くに温泉があるという話を聞き
いいじゃん?って話になってすぐ予約。
翌日はやはりガン宣告を受けている母の姉、伯母さんに会いにいく予定。
伯母のいる所も温泉地なので、昔から泊まってみたかった!と話したら
いいじゃん?って話になってすぐ予約(笑)。
何しに行くんだか。葬儀に行くついでに温泉三昧!

そんなわけで、悲しいけど、暗くはない我が家です。
きっと父も望んでいると思います。

でも、やっぱり、泣けてきます。

rakuten